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【オガサワラカラスバトとは】生息地や絶滅した原因・生き残りの可能性まとめ

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オガサワラカラスバトは、ハト目ハト科の鳥で漢字で書くと「小笠原烏鳩」と表記されます。

名前に「カラス」と付くので黒色を想像しがちですが、実際は体全体が光の当たり方によって紫や緑色に見える金属光沢を持つ灰黒色の羽毛を持っています。

全長は約40〜45cm。大きい個体は50cm程にもなり、ハトの中では最大の種類でした。

性質はとても大人しく、人間が近付いて捕まえるまで逃げようともしない程警戒心が無かったという記録が残されています。

主食として、生息地に自生している植物「オガサワラビロウ」の果実や種子を好んで食べていたという記録が残っており、映像資料によれば果物も食べていたそうです。

繁殖方法は、木の中にできた空洞(樹洞)や5m程の高さの木の枝に小枝を集めて作った皿状の巣を作っていたとされ、その中に産み落とされる卵の数は少なく、1〜2個だったとされています。

また、一度つがいになると一生添い遂げる習性があったと言われています。

「オガサワラカラスバト」の分布・生息地

その名の通り小笠原諸島の森林に生息していました。

この島には別種の「アカガシラカラスバト(現生種)」も生息しており、餌の好みの違いから面積の狭い島内でも上手く共存できていたようです。

「オガサワラカラスバト」の絶滅した原因

生息地だった小笠原諸島には元々、オガサワラカラスバトの天敵は生息していませんでした。種の生存を脅かされる事が無かったので警戒心は殆ど無かったとされています。

しかし、1827年に人間と出会ってしまってから、オガサワラカラスバトは絶滅の道を辿らされる事になってしまいました。

まだ日本の領土ではなかったこの島に、最初にやって来たのはイギリスの軍艦でした。航海士の記録によると、「オガサワラカラスバトは全く人間を恐れず、逃げようともしなかったため簡単に枝から叩き落とす事ができた。」のだそうです。

また、別の船長は「集めるのも容易いが暴れる事も無いため、容易く脚の骨を折る事ができた。」と愉快そうに話し、記録していたと伝わっています。船乗り達は次々とオガサワラカラスバトを捕獲し、骨をへし折り、多い時では一度に70羽も獲る事があったそうです。

捕らえられたハト達は、食用として船乗り達に好まれました。肉の味はかなり良いとされ、オガサワラカラスバトの肉を使ったパイをご馳走にしていたという記録も残っています。

1830年代になると、船乗り達はポリネシアの人々と共に小笠原諸島で暮らすようになりました。この際、本来小笠原諸島にはいなかった生き物を大量に連れ込んでしまったのです。

連れ込まれたブタやヤギはオガサワラカラスバトの餌を容赦なく奪い、ネズミは餌だけでなく卵や雛鳥を襲いました。また、ペットとしてネコも連れ込まれており、島内で殖えるだけでなく次々とオガサワラカラスバト達を捕食していったのです。

1853年頃になると、鯨油のための捕鯨目的で暮らしている人々が追い打ちをかけるように、土地の開拓と蒸気船の燃料にするために森林を伐採していきました。この時には島内にイヌやヒツジ等も連れ込まれており、オガサワラカラスバトにとっての天敵や外敵がさらに増えてしまったのです。

こうして仲間達を殺されるだけでなく、食料も産卵場所も奪われてしまったオガサワラカラスバトは急激に数を減らしていきました。

1875年、小笠原諸島は日本の領土になりましたが、その頃にはオガサワラカラスバトの殆どが姿を消してしまいました。その14年後に調査団が生息数を調査したところ、オガサワラカラスバトが生息していた島々や森林にも姿を確認できなかったそうです。

その頃の小笠原諸島は島内の人口もかなり増えており、かつてオガサワラカラスバトが生息していた森林の面積は、土地開拓によって半分も失われた状態になっていたと記録されています。

その後も調査団が何度も生存確認のための調査を行ったのですが、生存の痕跡すら掴めなくなってしまい、1900年にオガサワラカラスバトは絶滅したと認定されました。

「オガサワラカラスバト」の生き残りの可能性

オガサワラカラスバトは絶滅したとされていますが、あるサイトに掲載されている1970年代後半に撮られた写真にオガサワラカラスバトかも知れない鳥が写りこんでいました。写真を撮った人も「馴れ馴れしく近付いて来る鳥だ」と思い、記念に撮影したそうです。

何故、オガサワラカラスバトの可能性があるのかと言うと、アカガシラカラスバトのように頭部にうっすらと赤みがかった羽毛が確認できなかったからとされています。写真を見た人達がかなり驚いた様子であった事も、そのサイトには記してあります。

カラスバト自体が非常に稀少な鳥ではありますが、もしかしたら、まだ小笠原諸島の未踏の森林地帯にひっそりと息を潜めて暮らしているのかも知れません。