トキは日本全国の水田・河川・湖沼など、どこにでも見られる一般的な水鳥でした。
頭部や胸部、特にその風切り羽根周辺には淡いオレンジ味がかかり「朱鷺色」と称されます。
絵の具で使われる朱色は、この朱鷺色が語源です。
主に田んぼのカエル・どじょう・子魚・水生昆虫等・甲殻類、時には蛇なども食し、農家からは稲を踏み倒す害鳥扱いされていました。
そんなトキですが、農家は駆除などは決して行いません。のんびりと共存共栄していました。
その様に平和な共存関係を構築していたトキが、なぜこれほどまでにその数を減らしてしまったのでしょうか。
「トキ」とは
トキは“鳥類ペリカン目トキ科トキ亜科”に分類されます。
英名は“Japanese crested ibis”、学名は“Nipponia Nippon”。
特に学名のニッポニア・ニッポンは、正に日本の鳥というネーミングで広く知れ渡っています。
全長は概ね55~80cmほど、翼を広げると130~140cmになります。体重は1.6~2.0㎏ほどでした。
現存の水鳥の仲間では、小型のサギである「コサギ」「アマサギ」「ササゴイ」を連想すると、その大きさが伝わりやすいでしょう。
古くから女性の冷え症や、産後の滋養強壮に効果がある食材として好まれていました。戦国時代などは弓矢の羽根部分にも、トキの羽根が使われています。
ただ、その為に不必要な乱獲が行われた事実は一切ありません。
その食性は、動物食の傾向が強い雑食性です。野生下での寿命は実に10年にも及びます。
日本産最後のメスのトキ「キン」に至っては、1967年産まれであり、推定年齢は36歳とされています。
この様に、自然界と飼育下のトキの寿命には大きな隔たりがあります。
有名な日本産トキ保護施設は、新潟県佐渡ヶ島にある「佐渡トキ保護センター」です。
ですが保護開始時から、人工飼育下では全ての個体がその天寿を全うできていません。それほどトキの保護、そして人工飼育は困難を極めます。
記憶に新しいのが外敵の侵入です。
2010年3月10日、トキ保護センターにイタチ・テンと思われる小動物が侵入しました。
結果0~5歳の貴重なトキ9羽が、その餌食になってしまいます。日本最後のトキ「キン」も同様に寿命では亡くなっていません。
直接の死因はケージへの激突死です。死亡時のキンの年齢は人間に換算すると、ゆうに100歳を超えていました。
著しい視力低下も仇となったのでしょう。
飛び立とうとしたキンは、ケージ内の1mにも満たないアルミ柵に突っ込んでしまいます。
そして激しく頭部を損傷し、呆気なく36年の生涯を閉じました。
このキンの死により、2003年10月10日のその日、純粋な日本産トキは永久に地球上からその姿を消してしまうのです。
江戸時代までトキは、日本全国どこにでも見られる一般的な鳥でした。東アジア一帯の他国でも、その姿を目にすることができたほどです。
全盛期のトキは、それほど個体の絶対数が多かったのです。
ちなみに日本産のトキは完全な「留鳥」(渡りをしない鳥類を指します)ですが、ユーラシア大陸東部、東アジアの個体群は国家間を行き来する渡り鳥という記録が残っています。
冒頭でも述べましたが、ところどころ朱色がかる美しい羽根がトキの最大の特徴と魅力です。
また顔面部周辺には羽毛がなく、目や鼻・くちばし部分は、ひときわ鮮やかな朱色の地肌に囲まれています。
サギなどと比較しその頸部は短く、無数の羽根でたてがみ状に覆われています。
特筆すべきは、そのクチバシの形状です。トキはなだらかなカーブと丸みを帯びた、婉曲状のくちばしを持ちます。
これは水辺に潜む動物を、うまく掬い上げて捕食することに特化しています。
ドジョウやカエルなどの滑りやすい動物も、がっちりと挟み込んで逃がしません。
水草の陰や泥部に逃げ込んだ小魚や甲殻類も、ピンポイントで捕まえることができます。
更にトキのくちばしは、その感覚が非常に鋭敏です。
濁った水や泥でも、くちばしの感覚を頼りに見事なハンティングを行うことが可能です。
意外に知られていませんが、トキは相性の良いオス・メス同士による「一夫一妻」制でしか繁殖をしません。
この愛情深い繁殖形態もまた、彼らの絶滅に拍車をかけてしまいました。オス・メス2匹がいれば繁殖するという、単純な鳥類ではありません。
トキの営巣地は適度な高さの樹上です。概ね15~20mほどの高さに、お椀状のくぼみがかった巣をオスが作ります。
その繁殖は1~8月と1年の大部分を占めています。
まだ寒い1月頃からオスは巣作りを始めます。そこに発情したメスが訪れ、オスが餌や自身の羽根をメスに渡しプロポーズをします。
この際相性が合わなければ、ペアは成立しません。この様なアピールを幾度となく繰り返し、野生下のペアは成立するのです。
繁殖期のトキは普段の真っ白な羽毛が、灰褐色に変化します。そしてところどころにオレンジ色、つまり「朱色」の発色を見せます。
古くは別種であると考えられていたほどの激しい変貌です。日本画には「背黒トキ」との呼び名で描かれるケースが多々見受けられます。
トキは一般的に2~5個ほどの卵を産み、ひなを育てます。ひなは全身灰褐色の産毛に覆われており、親の面影は一切ありません。
子育て中は特に警戒心が強くなり、強いストレスや危機を覚えると親鳥はあっさりと育児放棄してしまいます。
その反面、縄張り意識は皆無に等しく、攻撃性も一切ありません。
このようなトキの性格から、かつては群れ単位で営巣・子育てをしていたと提唱する学者もいるほどです。
その協調性の良さは際立っており、育児放棄や楽鳥したひな・若鳥は、容易に人間に懐きます。
過去、佐渡トキ保護センターに持ち込まれた個体には、素手で保護され持ち込まれたケースもあったほどです。
繁殖期が終わり、ひなが巣立つ7~8月頃には、トキは複数匹の群れでの集団生活に戻ります。
この様にかつてトキは、恵まれた自然環境の元で優大に、その生活を育んでいました。
「トキ」の分布・生息地
その昔トキは、南は沖縄を含む琉球諸島から、北は北海道まで、ほぼ日本全国全ての地域における生息が確認されています。
江戸時代における近隣各国の記録からは、日本はもちろん「中国」「台湾」「朝鮮半島」そして「ロシア」にも、その生息痕跡が確認できます。
東アジアの広域にまたがり分布する、ごくありふれた一般的な鳥でした。
日本国内のトキは留鳥と述べましたが、沖縄県や琉球諸島に飛来するトキは、ユーラシア大陸からの渡り鳥であったとの説が濃厚です。
また、北海道の個体は道南での繁殖も記録に残っていますが、国内を南下する個体群も少なからず存在しました。
他の東アジア諸国では、渡り鳥としての性質が顕著です。
繁殖期には中国南部や朝鮮半島・台湾、そして沖縄諸島にさえ海を渡り移動をしていました。
野性のトキの生息地は、大きく2つに分かれます。
昼間は主に甲殻類・どじょう・カエルなどが豊富に生息する、水田や湿地帯を活動拠点にしています。
陽が落ちると、ねぐらや休息場所、そして繁殖地を兼ね備えた森林地帯に戻るという生活様式を取ります。
必然的にトキの生息地は、水田や湿地地帯周辺に十分な森林がある地域に限られてしまいます。
江戸時代以前の日本には、この様な場所がほとんどでした。現在首都圏である関東平野などは、その大部分が湿地帯であったほどです。
東アジア各国では中国・朝鮮半島・ロシアでの生息域が公的な記録に残ります。
ロシアではアムール川沿いに広く生息し、ウラジオストク周辺で度々その姿が目撃されています。
ただ個体数は19世紀後半から急速に減少します。1949年にはアムール川周辺の個体群、1960年代にはウラジオストク周辺のトキが完全に姿を消します。
ロシアでの最終目撃は、1981年を最後に完全に途絶えています。
朝鮮半島でも20世紀初頭には、数千匹単位の野生個体が生息していたとされます。
残念なことに朝鮮半島独自の政治的要因から、詳細な調査はなかなか難しかったようです。
1978年、4匹のトキが目撃されたのが、朝鮮半島での最後の目撃例となります。
そして現在の生息地、中国についてです。実は過去、中国では公的なトキの絶滅宣言を発する寸前でした。
1964年の目撃を最後に、17年間もの間一切の報告が挙がらなかったのが、その要因です。
ところが1981年、中国科学院動物研究所が行った「絶滅宣言宣告前の最終調査」において奇跡的に7羽のトキが発見されます。
つがい4羽、ひな3羽の非常に少数の個体群が、中国陝西省洋県の山奥で細々と生き残っていました。
現在、中国は国家ぐるみの保護政策を重点的に行い、毎年100羽ほどのひなが安定して巣立ち、成育できる環境を築き上げています。
「トキ」の絶滅した原因
トキの絶滅の理由は非常にシンプルです。
それは「環境破壊」と「狩猟」の2点に尽きます。
これは野生種が現存する中国も同様に、各国のトキがその数を減らした共通の原因となります。
日本においては「明治維新」が主要因であり、始まりです。江戸時代、銃やライフルはごく限られた人間にのみ保有が許可されていました。
ところが明治維新以後は、全ての国民の銃の保有が可能になります。明治時代中期には現在と変わらない、20万人ものライセンス保持者が存在しました。
これがトキ絶滅の最初の原因となったのです。トキの羽毛は非常に美しく、古くから祭事などに用いられます。
捕獲量は微々たるものです。ただ明治維新以降は日本人の生活スタイルが一変します。
トキは主に「羽毛布団の材料」「装飾品(アクセサリ)」「服飾の装飾品」として、その羽毛を目当てに次々と狩られてしまいます。
一方で女性の帽子や靴・鞄などの装飾として、欧米諸国の需要も高まります。「お金になる輸出品」として積極的にトキは狩猟の的となりました。
1868年に起きた革命「明治維新」以降、1900年までの約40年間でほとんどのトキが狩り尽くされてしまったのです。
更に生き残りのトキ達に追い打ちをかけたのが、環境破壊です。水田などの稲作を始め、国内農業への農薬の使用が一般的になります。
生物ピラミッドの頂点にいたトキは、農薬で汚染された生き物を次々と食べることになります。
その結果、極端な生物濃縮が起き、生き残ったトキも農薬中毒で次々に死に至りました。。
それでも生き残り続けていたトキへの決定打は、高度経済成長期下における森林伐採と宅地増設でした。
要の餌場と森林、生息地を全て奪われたトキはなす術もありません。
1952年に国の特別天然記念物に指定されましたが、全てが遅きに失していました。
1981年についに最後の生き残りの地、佐渡ヶ島にて野生界最後のトキ5羽が全て捕獲され、人間の監視の元保護飼育下に移されます。
これにより日本のトキの野生種は、事実上絶滅してしまいます。
「トキ」の生き残りの可能性
実際に日本国産のトキは、捕獲された個体も含め全て死亡しています。
死亡の際、その内臓は余すことなく冷凍保存されており、未来へ望みを託されていますが、技術的・倫理的にも容易いことではありません。
現在佐渡トキ保護センターでは、中国から譲渡してもらった個体を軸に、野生への放鳥作業などが着々と進んでいます。
その数は累計327羽にまで増加しました。
純国産ではなく、中国産の別種を育てているだけなのでは?との見解も良く聞かれます。
しかし分子生物学で用いられる、ミトコンドリアDNAによる系統分類では、種の相違性は0.06%に留まります。
この数値は明らかに誤差の範囲内で「亜種」とさえ呼べません。
過去、中国・朝鮮半島・ロシア・台湾・日本にまたがり生息していたトキは、その全てが同一種だったのです。
このため事実上トキは絶滅していません。中国から譲渡されたトキもまた、日本のトキと同一種となります。
とは言え、かなりわだかまりや引っかかる部分があります。他ならぬ私でさえ、同じ感情です。
近年東洋のガラパゴスこと「山原(やんばる)の森」が世界遺産に名乗り出ています。
ヤンバルクイナを始めとし、ノグチゲラ・ヤンバルテナガコガネ・トガリネズミなどの日本固有種の宝庫です。
トキは確かに絶滅していません。ただ日本のトキは守りきれませんでした。
トキの教訓を活かし、これらの日本固有種を守り抜いていかなければなりません。