リョコウバトはその数の多さから、かつてはアメリカの豊かさの象徴としてたたえられていました。
「群れというよりは嵐のようだ」と評される通り、彼らが飛来すると、太陽は覆われ、地上が暗くなるほどだったと言います。
しかし、驚異的な数を以て、豊かさの象徴に君臨していたはずの彼らはわずか50年ほどで絶滅に追いやられてしまいました。
いったい彼らの身に何が起こったのでしょうか。
今回はそんなリョコウバトの生態と、その絶滅までの歩みを追っていきましょう。
「リョコウバト」とは
身体的特徴
見かけは、現存するごく普通の鳩と大差ありませんでしたが、オスは背中の灰色がかった青と、胸の赤色の羽毛が美しい鳥でした。
メスはオスより色彩がやや地味で、背中が淡褐色、腹側が灰色。翼はとても長く、先がとがっていました。
このおかげで彼らは非常に早く飛ぶことができ、時速100㎞に及ぶこともあったんだとか。
そしてその鳴き声はとても甲高かったと言います。
生態的特徴
彼らは集団生活を行っていました。日中は森を離れ、開けた土地でどんぐりや木の実などの餌を探して飛び回っていたそうです。
また、その大群の割には繁殖力の非常に弱い鳥で、繁殖期は一年に一度、一匹のメスにつき一つの卵しか産むことができませんでした。
このことは後に絶滅の大きな要因になっていきます。
「リョコウバト」の分布・生息地
北米東部の落葉樹林に生息し、主に五大湖周辺で繁殖を行っていました。
「旅行鳩」の名の通り住処を変える鳥だったため、この付近で常に餌を探して移動しながら暮らしていたのです。
「リョコウバト」の絶滅した原因
リョコウバトの絶滅の原因が、アメリカに入植してきた人たちの乱獲であったことは言うまでもありません。
味がよく、羽毛も布団などに加工できたために需要が高く、数も膨大であったことから、無計画な乱獲が止まらなかったのです。
リョコウバトは一日に何万羽という単位で撃ち落され、市場に運ばれていきました。
またひとつ不幸だったのは、リョコウバトの繁殖力が決して高いものではなかったということです。
ある一定以上の数がいなければ彼らは繁殖をすることができず、一度減った個体数をもとに戻すのは並大抵のことではありませんでした。
1900年には、野生で最後だと言われる個体が撃ち落されました。
こうして、ピーク時には北米に生息する鳥類の25%~45%を占め、数にして50億羽もいたとされるリョコウバトは、アメリカへの入植からわずか50年ほどで、残り3羽の所まで追い込まれてしまったのです。
生き残った3羽は動物園で保護されましたが、今よりももっと人の手による繁殖の技術が進んでいなかったこの時代に、ただでさえ繁殖能力の低いリョコウバトを増やすことはできませんでした。
そして1914年9月1日、「マーサ」と名付けられたメスの個体が死んだのを最後に、リョコウバトはこの世から完全に姿を消してしまいました。
「リョコウバト」の生き残りの可能性
目撃情報などもないことから、野生でその姿を見つけることはもはや絶望的です。
しかし、豊かさの象徴たる彼らを蘇らせようと、研究を続けている団体もあります。
彼らは遺伝子を操作することによって、リョコウバトないしそれによく似た形質の鳥を生みそうとしているのです。
まとめ
最も多い群れで、35億羽を有し、北米大陸の大空を飛び回っていたリョコウバト。
そんな彼らがたった50年で絶滅してしまうなど、いったい誰が予想できたでしょうか。
人々はその数の豊かさに甘え、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。
しかし、このことは、「いくら数の多い生き物でも、人間の軽はずみな行為一つで種ごと消し去ってしまうことがある」という大きな学びを、我々に与えてくれたのです。