戦後間もない1950年代、毛皮や食肉目的で乱獲されその姿を消しつつある動物が、日本に存在しました。
それが今回お話しするカモシカ(ニホンカモシカ)です。
ニホンカモシカは日本固有種であり、ニホンカワウソやニホンオオカミのように絶滅寸前まで行きながら、手厚い保護活動により個体数が復活した、日本の野生動物保護における成功例の試金石と言っても過言ではない哺乳類です。
日本人なら誰もが耳にしたことのあるカモシカ。
一体どの様な保護活動が実り、その危機を脱したのか。
そもそもどの様な動物なのでしょうか。
その実態は意外にも周知されていません。
今回はその様な点に目を向け「カモシカ」が辿っていった歴史についてお話ししていきます。
「カモシカ」とは
カモ“シカ”と呼ばれていますが、実は偶蹄(ウシ)目ウシ科に属する動物であり、シカの仲間ではありません。
ニホンカモシカは完全な日本の固有種であり、他国では台湾に生息する小型の「タイワンカモシカ」そしてインドネシア・タイのスマトラ島・マレー半島に局所的に分布する「スマトラカモシカ」、ヒマラヤ山系を生活の中心とするHimalayan serow(和名なし)が広く知られています。
分類学上では、これらのカモシカは国内固有種であるニホンカモシカの「亜種」として知られておりますが、一見では各々が独立種と言っても、全く疑う余地がないほど外見がかけ離れてもいます。
それ故に未だに各カモシカ群を別の独立種と唱える生物学者もいるほどです。
ニホンカモシカに着目すると、彼らは正式には哺乳網偶蹄目ウシ科ヤギ亜科カモシカ属に属する哺乳類であり、一般には牛の仲間と紹介される事が多く、その外見もよく見ると牛に非常に似通っています。
全身の体毛は灰褐色や茶色・白・灰色など、生息地域の個体群による地域変異や、個体ごとの変異が著しく表れます。
オス・メス共に約15cmの短い角を持ち、頬付近にはまるで「ヒゲ」の様に体毛が密集しており、なんとも特徴的で愛らしい表情を見せてくれます。
登山中などで目にする動物としては大型の部類であり、その全長は頭部から尾部までが約140cmもあり、体重は35〜40kgほどです。
国内種に限らずカモシカの仲間は山地周辺に生息しており、山の麓から高山地帯までその行動圏を非常に幅広く持っています。
群れは一切作らず単独行動中心で、ごく稀に見かける3〜4頭の個体群は実は100%親子連れとなります。
縄張りの主張が極めて強く、オス・メス共に通常は単独で自身の縄張りを持ち、その縄張り内で一頭ごとにひっそりと暮らしています。
面白いことに、急斜面にある森林地帯や岩場などを好んで根城にしています。
目のちょうど真下には分泌物を作るための器官である分泌腺を持っており、これを自らの縄張り各所にマーキングすることで、自分のテリトリーを他の個体に主張しています。
食性は完全な草食性であり、牛と同様に複数の胃を使う反芻行為を行い、体内細菌により植物をアミノ酸まで体内醗酵させて、タンパク質を補っているのです。
また、歯の本数も32本と「牛」や「羊」と全く同じ本数であり、僅かな植物を十分にすり潰すことが可能で、反芻行為による分解を促進する役割を持ちます。
ニホンカモシカはかなりの粗食であり、1日に2食、早朝と夕方に「低木の葉」や「芽」「小枝」そして「花」や「植物の実」などを中心に、その餌としています。
前述の通り一年の大部分は自分の縄張りの中での単独行動を行う動物なのですが、10〜12月の冬季に発情期を迎え交尾を行い、4〜6月の春季にかけてメス個体は子供を1頭のみ産み落とします。
妊娠期間は200日以上とかなりの長さになるのも、ニホンカモシカの出産の特徴です。
面白いことにカモシカは異性間の縄張りの重複は簡単に容認するのですが、こと同性間…特にオス同士の縄張りが被ってしまうと、その角で応戦し自らの縄張りを死守します。
産まれ落ちた幼獣は1年間母親と共に生活をし、その後親離れをし単独生活に入ります。
オスの幼獣は約3年で、メスの幼獣は平均4年で性成熟します。
ニホンカモシカは兄弟・姉妹といった複数匹を出産することは非常に稀であり、しかも必ずしも毎年出産をしないことから、一度個体数が減ってしまうと、なかなか個体数の増加が困難な哺乳類と言えるのです。
ただ、その平均寿命は実に15年にも及び、野生下では夫婦共に20歳を超えた記録が存在します。
飼育下での最高齢は、過去に館山博物館カモシカ園で飼育されていた「クロ」という名の個体で、実に33歳という公式記録が存在するほどです。
この様にニホンカモシカは種々のユニークな特徴を持ち合わせる、わが国特有の国産哺乳類なんですね。
「カモシカ」の分布・生息地
ニホンカモシカは日本の完全固有種ですが、その分布・生息地は、かなり飛び地的になっています。
まず亜寒帯気候の北海道と、亜熱帯気候の沖縄地方には一切生息していません。
九州・四国・本州に分布するのですが、中国地方には一切生息していないのです。
そのため生息地により、極端な個体数の差が発生しています。
カモシカは山岳地帯でも主に標高500m以下の低地を好んで生活の場にしており、その中でも極端に傾斜のついた森林地帯や、岩盤地帯を好適環境として選びます。
これはカモシカ元来の性質とも言われますが、一説ではツキノワグマや野犬などの追跡を交わすために、進んでこの様な逃げやすい環境を選んでいるという説もあります。
本州の個体群に限っての話ですが、保護活動が実りすぎたため、逆に個体密度が増えてしまい餌を求めて人里の農地に降り、林業の若木や丹精込めた農作物を食べ尽くしてしまうなど、逆転現象に近い非常に難しい問題が現状生じています。
反対に四国・九州のニホンカモシカは、未だなお個体数の減少が懸念されており、本州の保護活動とは全くの別物になってしまっているのが現状なんです。
東北地方ではあまりに農業・林業に対する食害被害が甚大であり、あれだけ保護に取り組んだカモシカを害獣とみなし、一定数の駆除を許されるという、なんとも虚しい事態にさえ陥っています。
「カモシカ」が絶滅危惧種に指定された理由
ニホンカモシカは幸いなことに、IUCNレッドリストでは最も下部の「低危険種」に位置されています。
だだし、これらはあくまで“国際的な基準”であり、国内では東北地方・関東等の本州地方と、九州・四国地方では生息個体数に天と地ほどの差が生じているのが現状です。
まず、カモシカがなぜ急激にその姿を減らしてしまったのか。
その点についてご説明していきましょう。
今から実に97年前の1925年、つまり戦前にはすでに「狩猟法」の改正により、ニホンカモシカは狩猟対象から除外されています。
その僅か9年後の1934年には国の「天然記念物」、更には戦後間もない1955年には「特別天然記念物」にまで指定されているのです。
この背景にはやはり戦時中の食糧危機が起因しています。
第二次世界大戦中は日本各地で社会的混乱が起こった上に、その食糧難からカモシカは乱獲され、毛皮はいわゆる闇市で頻繁に売られる様になりました。
戦争末期の1945〜1950年代には、分布域や個体群の完全消滅が全国各地で確認されたと言われています。
有名な絶滅個体群は山口県や広島県を中心とする、中国地方の個体群です。
特に原子爆弾で多大な被害を受けた広島県を中心に、戦後間も無く貴重な食料減となり、密漁が絶えず遂には中国地方からニホンカモシカの姿は完全に消滅してしまいました。
その後、戦後になり社会が落ち着きを取り戻すと、古くから日本に存在する固有種である「ニホンカモシカ」を何とかし、保護・保全しようという動きや活動が徐々にですが活発になってきました。
ただこの時点で全国の総生息数は概ね約5000頭までに落ち込んでいたとされています。
一般にカモシカにおいては、その縄張りや単独で暮らす習性を加味すると「500頭」が種を維持する最低ラインと周知されています。
果たしてこの「カモシカ保護活動」は実りを結んだのでしょうか。
「カモシカ」の保護の取り組み
まず「ニホンカモシカの保護」については、国家単位での保護施策から見ていくのが、最もわかりやすいでしょう。
国際保護基準はニホンカモシカという種そのものへの見解であり、必ずしも国内事情を踏襲していないからです。
前述の通りニホンカモシカは1934年(昭和9年5月1日)に、当時の「史蹟名勝天然記念物保存法」に基づき、かなりの早さで天然記念物に指定されています。
1955年(昭和30年2月15日)には、当時の「文化財保護法」を根拠法とし「特別天然記念物」にまで昇格されました。
しかしこの様な厳密な保護政策が取られたのにも関わらず、カモシカの密猟は依然変わることなく行われていたのです。
時代背景を考慮すると、まだまだ戦後の混乱期ということもあり、ある意味仕方がなかったのかも知れません…
ただ、1959年に日本政府は全国規模の大規模な密猟の摘発を各地で行います。
この1959年の大摘発は密猟者たちだけではなく、かなりのインパクトを日本社会・国民たちに与えます。
というのも、それまで中央政府が決めた「狩猟禁止事項」や「特別天然記念物」という決まり事が、実は狩猟者や農業に携わる人々には一切認知されていなかったのです。
この出来事によりその希少性が広く知れ渡るようになり、ニホンカモシカの保護・保全活動は1959年を境に、全く異なるものになったと言っても過言ではありません。
その後、ニホンカモシカへの保護意識は猛スピードで人々の間に浸透していきます。
こうしてニホンカモシカの保護活動には一旦の目処がつくのですが、本種の保護活動に関しては、すでに繰り返し述べた「地域個体群」がかなりのネックとなってしまいました。
まず、関東・東北地方の総個体数は保護の甲斐もあり莫大に増加し、実に75,000〜90,000等までの驚異的な回復を見せます。
ただそれとは全く裏腹に“九州個体群”“四国個体群”の総数はまるで反比例するかのように現在も減少を続けています。
一体何が相反するニホンカモシカ保護の地域差へと繋がってしまったのでしょうか。
それにはニホンカモシカが好む生息域が深く関与しています。
高地にも現れるニホンカモシカですが、最も好むのは山岳地帯では低地と呼ばれる500m近郊の部分です。
四国・九州地方の生息域には極端にその様な環境が乏しく、例を挙げると九州・四国における調査では、実に1キロ平方メートルに40匹ものニホンカモシカの生息が確認され、その個体数密度が個体数の増加を妨げていたのです。
また両地域とも“ニホンジカ”による生息域の競合が大きな問題となっています。
ニホンジカの急速な個体数増加により、従来のニホンカモシカの食糧が減り、両地域共に本来は決して見ることのできない住宅地・休耕田などでの発見例も顕著になっています。
もう一つの大きな理由は林業の衰退です。
昭和・平成・令和と時代の移り変わりに連れ、林業を始めとする第一次産業の担い手が激減し、ニホンカモシカの餌となる低木や笹などが過去に植林された杉やヒノキの放置により、育ちにくい環境になっています。
そのため必然的に食糧がなくなったニホンカモシカは減少の一途をたどってしまったのです。
九州地方のニホンカモシカは1994~1995年に調査された際の2000匹から、2020年の調査では実に1/10の200頭にまで数を減らし、各県の条例で県指定のレッドデータブックに指定され、今後の個体数回復に尽力しています。
四国地方でも同様で、平成27年9月には環境省レッドリストの「絶滅の恐れのある地域個体群」に四国山地のニホンカモシカが選定されるなど、その減少は著しいものになっています。
現状では四国地方のニホンカモシカは1400頭ほどとされており、九州地方ほど急激な減少は見られませんが、それでも東北・関東地方の75000~90000頭と比べると微々たるものです。
この様に国内からニホンカモシカに目を向けてみると、その生息地の保全によりハッキリと命運が分かれていることが明白です。
四国・九州地方のニホンカモシカの保護活動は急務を迫られていますが、未だ明確な個体数増加には繋がっていないのが、悲しい現状です。
また、本州・東北地方のニホンカモシカは保護活動が最も顕著に表れ、今度は逆に少数の林業従事者や農家の方から「害獣」扱いされるという、とんでもない逆転現象が起こっています。
本来は特別天然記念物の本種は駆除はおろか、触れることさえよほどのことがない限り禁じられています。
しかし残念なことに一部自治体では農作物を荒らす被害状況から、特別許可や行政指導の元、一定数の狩猟や駆除が行われている現状があります。
この様に生息域においてニホンカモシカへの人間の対応が非常にアンバランスであり、かなりの矛盾が生じているのが今日の現状なんです。
まとめ
ニホンカモシカの国内総個体数は、一時期に比べ飛躍的に増加しています。
ですが我々日本人の目線から見ると、地域格差が非常に顕著であり、人間社会との共存がアンバランスとなっています。
各地域の個体達は亜種までとはいかないまでも、ある程度独立し差異がある個体群とも言え、ニホンカモシカという単一の種で括るのはかなり乱暴になります。
九州・四国地方のニホンカモシカが、かつての中国個体群と同じ末路を辿らないように、これからの綿密な保護が求められると言っても過言ではないでしょう。