かつて日本全国の沿岸部一帯にアシカが生息していた事をご存知ですか。
名前を“ニホンアシカ”と言います。
別名“黒アシカ”とも呼ばれていました。
ニホンオオカミやニホンカワウソと同じく、完全な日本の固有種です。
彼らの主な生息地は九州以北の日本全域です。その分布域は日本海沿岸が主でした。
学名も日本固有種を示す“Zalophus japonicus(ジャポニカス)”と記載されています。
1800年代中頃には、実に3~5万頭のニホンアシカが日本国内に生息していたと言われています。
江戸時代には「禁漁施策」が幕府によって打ち出されていたほどです。
その時代には珍しく手厚く保護されていました。
しかし明治維新によって徳川幕府が倒れ、元号が明治に変わると状況は一変します。
新政府樹立の政治的混乱の裏側で乱獲や捕獲が横行していきました。
そして1900年代に入ると、彼らはその姿を次々と消していくのです。
「ニホンアシカ」とは
アシカの分類は専門的な学者間でも揉めるほどややこしく難解です。
今回は“食肉目アシカ科アシカ属”に属するアシカをニホンアシカの近縁種としてお話していきます。
その他、トド属・オタリア属・オットセイ亜科等をアシカの仲間に含む考え方もあります。
ただ本記事の主旨から外れてしまいますので、分類学上の様々な意見についてはこちらを本筋として説明していきます。
突き詰めていくと切りがないので、一旦便宜的にその他の説は割愛させて頂きたいと思います。
意外にもアシカ科アシカ属に分類されるアシカは僅か3種類のみです。
ガラパゴス諸島固有種の『ガラパゴスアシカ』。
アメリカ大陸西海岸に広く生息する『カリフォルニアアシカ』。
そして今回取り上げる『ニホンアシカ』この3種から構成されています。
他にはオセアニア諸国に『オーストラリアアシカ』『ニュージーランドアシカ』と呼ばれるアシカが生息します。
この2種は1属1種の完全独立種です。他のアシカとはかなりの遠縁種となります。
ちなみに、国内の動物園で見られるアシカは全てカリフォルニアアシカです。
ニホンアシカは当初カリフォルニアアシカの亜種、つまり同一種と考えられていました。
近年の研究でその認識は改まります。DNA系統における分類で、全くの別種と言うことが判明しました。
つまり近縁種として再分類された訳です。
ニホンアシカの体躯は、雄の方が雌に比べかなり巨大化します。
雄の体長は200~260cmほど、その体重は180㎏ほどと記録されています。
それに反し雌の体長は約150~190cmほど、体重は雄の半分の90㎏程度でした。
ニホンアシカはかなり巨大な種で、カリフォルニアアシカ・ガラパゴスアシカより大型になります。
雄の体色は“黒アシカ”と呼ばれたように濃い灰褐色です。それに反し雌は明るい茶色で、雌雄の体色の差は顕著でした。
ニホンアシカはその一生のほとんどを海上で過ごします。海中は彼らの独壇場でした。平均的な海中移動速度は時速15kmほどです。
天敵からの逃走や捕食に臨む際は、実に時速30km以上もの速度を出すことが可能となります。
出産や休息を取る時だけ手近な岩場・岩礁・海岸に昇ります。
その繁殖形態は他のアシカの仲間と同じく、雄1匹を中心とした複数匹の雌から成る一夫多妻制のハーレムです。
食性はイカ・タコなどの頭足類を好んでいたようです。
種々の魚類やエビ・カニなどの甲殻類、貝等も主食としています。
非常に警戒心の強い海獣で、これらの餌を探している最中や、集団で眠りに入る際も最低一匹は見張り役としての役割を担います。
何かしらの危険が迫った際は、その見張り役のけたたましい鳴き声が号令として響き渡ります。
この鳴き声を聞くとニホンアシカは一斉に海中に飛び込み逃走してしまうのです。
実に用心深く役割分担のある、社会性の高い群れを作り上げていました。
「ニホンアシカ」の分布・生息地
ニホンアシカの北限生息地は北海道より北のカムチャッカ半島でした。
現在はロシア領です。
反対に最南端の生息地は、九州の宮崎県との記録が残されています。
朝鮮半島にも極めて少数の個体群が確認されています。
資料を読み解いていくと、地域別の個体群にはかなりの違いが見られたようです。
その体色・大きさ・住処など同じニホンアシカでも、その相違点が記録されています。
中国と日本のトキやオオサンショウウオ・チュウゴクオオサンショウウオの違いになぞらえ、現在でも別種の可能性が示唆されています。
国内各地で、縄文時代と思しき遺跡や貝塚からその骨が多数出土されています。
かつては沖縄県および琉球諸島を除く「北海道」「本州」「四国」「九州」の各沿岸部に幅広く生息していたのでしょう。
日本海側が主な生息地でしたが、それ以外にも東日本の太平洋側沿岸や各諸島域にも幅広く生息が確認されています。
外海ではなく、各海岸沿岸部を主生息地・繁殖地として好んだそうです。
その警戒心からでしょうか?見晴らしが良く遮蔽物のない海岸部・海岸線近辺での目撃例が顕著です。
海辺の洞窟(海楼穴)も好み、そこを寝場所に選ぶ変わった生態も持ち合わせていました。
最大の繁殖地は現在領土問題にもなっている「竹島」です。他の有名な繁殖地としては青森県久六島や伊豆諸島各島が挙がります。
一般的にニホンアシカは、春から梅雨に差し掛かる5〜6月の間に僅か1頭の子どもを出産します。
子育ては夏場の7〜8月まで約2ヶ月間続きます。子育てが終わるとハーレムは離散し、再度群れを形成し翌年の繁殖に備えます。
理由は不明ですが、竹島での繁殖は1〜2ヶ月ほど早く行われていました。
「ニホンアシカ」の絶滅した原因
前述の通りニホンアシカは江戸時代、徳川幕府以前は3〜5万頭の生息数を維持しています。
藩によっては保護政策・漁獲制限も設けられたほどです。ニホンアシカにとって、大変恵まれた時代が続いていました。
その絶滅への第一歩は前述の「明治維新」です。日本最初で最後の革命と呼ばれる明治維新は、それまでの日本人の文化や生活様式をがらりと変えてしまいます。
実はニホンアシカの肉は非常に固くて臭みが強く、食べられたものではありません。当時の日本人でさえ見向きもしなかった程です。
これらの事実から、食用の捕獲が直接の絶滅要因でないことは明確です。
また時代背景を考えると海洋汚染等も起こりにくく、こちらも全く絶滅の要因にはなり得ません。
ではなぜニホンアシカは絶滅までに至ったのでしょう?
これについては諸説あります。
文献やサイトによっては「絶滅の原因は不明」との明記さえあるほどです。
ですが、その絶滅の足掛かりとなった主な要因は多くの意見を統合すると次第に浮かび上がってきます。それは極端な乱獲です。
確かにニホンアシカの肉は不味く、食用には向きません。実はその身に豊富に蓄える“脂身”が仇となりました。
江戸時代はクジラ漁に代表される様に、海洋から動物性タンパク質を持ち込んでいます。
鯨は食肉意外にも脂肪は鯨油・石鹸に、骨やヒゲなどは櫛や骨董品などに余す事なく転用されます。
難点はその大きさから易々と捕獲できないところです。その代用となったのがニホンアシカを初めとした、小型海獣類です。
ニホンアシカは当初、油目的での捕獲が主でした。その他はせいぜいゼラチンや石鹸に用いられる程度です。
江戸時代のアシカ漁は保護施策もあいまり、実に細々としたものに過ぎません。
ところが明治時代に入ると状況は次第に変わります。急速な欧米化に伴い油の需要が飛躍的に上がります。
その肉や骨は技術の進歩により、肥料に加工できる様になります。欧米との貿易輸出入により、狩猟用の道具も飛躍的に進歩します。
特にピストルを始めとする銃火器は、ニホンアシカを面白い様に狩ることができました。
更に漁師からは網を食い破る害獣として、次々と駆除されて行きます。
最大繁殖地である竹島では1900年代から、大規模なアシカ漁が行われます。そのペースは年間2000頭にも及ぶほどです。
最終的には約15000頭ものニホンアシカが竹島で乱獲されました。推定個体数が3〜5万頭の本種です。
実に4〜5割もの個体数が姿を消した計算になります。
更に大正時代から昭和初期にかけて、見世物小屋…今で言うサーカスからの需要が急速な高まりを見せます。
しかしその頃には年間平均40頭ほどの狩猟数にまで落ち込んでいました。そしてついに、1975年竹島での2頭の目撃例を最後にニホンアシカはその姿を消してしまいます。
「ニホンアシカ」の生き残りの可能性
ニホンアシカの絶滅末期である第二次世界大戦終戦後、生息地である日本海は高度経済成長に伴うビニール原料の遺棄。そして旧ソ連の核廃棄物不法投棄。
これらが重なり非常に汚染されている状況でした。
加えて『鳥獣保護法』は1918年に制定されていますが、2002年まで海洋性動物・海獣類は何故か対象から外れています。
つまり最終目撃から実に27年後、ニホンアシカはようやく保護対象になった訳です。
この2点が重なり、生き残りは絶望的とみなされています。
ただ目撃例そのものは頻繁に報告されています。
直近では何と!2016年3月に鹿児島県下甑島沖合いでの目撃例が挙がっています。
それ以前にも2000年代にはもう一例、鳥取県岩見町の海岸での目撃例があります。
ただ残念ながら種の断定には至っていません。明確なニホンアシカである証拠がないのが現状です。
公的な判断ではIUCN、環境省共にレッドリスト入りの“絶滅種”として位置付けています。
ただ日本哺乳類学会は「レッドデータ 日本の哺乳類」という独自判断書を、独自調査に基づき作成しています。
日本産哺乳類全てを記載した本報告書には「絶滅危惧」との評価が付けられています。
この様に団体ごとで絶滅・絶滅危惧の判断にはかなりの隔たりがあります。
更に環境省レッドデータ記載の条件に「最終確認から50年経過した動植物個体」という文言があります。
最終確認は1975年です。正式な手続き上は2025年に絶滅宣言がなされるべきです。
生存論を推す科学者は絶滅認定は時期尚早だと異論を唱えています。
国単位でここまで意見が分かれると、個人的には言及しづらい領域です。
しかし近年のニホンカワウソと思しき個体の撮影事例(※ユーラシアカワウソと結論づけられたが、未だ曖昧な部分も残る)もあります。
もしかしたら…誰にも見つからない孤島で、今でもひっそりと暮らし続けているのかも知れません。